上総木炭の祖 土窯半兵衛について


土窯半兵衛と白炭

 
半兵衛氏のお墓
   上総木炭の祖といわれる「常磐半兵衛」氏は、今を去る250年ほど昔の江戸時代宝暦のころ、相州足柄下郡鍛冶屋村吉浜(現在の神奈川県湯河原町吉浜)に生まれ、研鑽の末、それまでの木炭とくらべ、火力・火持ちが格段にすぐれた白炭といわれる「土窯式木炭製造法」を完成させた人です。
 氏はその技法を伝え普及させ、大量生産をこなすために、ここ上総の地、周准郡奥畑村に来られたのです。
 当時この地方は、炭の生産に必要な木材には恵まれていたものの、農耕などの特産品には恵まれず、住民の生活はとても豊かなものとはいえませんでした。
 そのために、氏の新しい炭焼き法は大いに喜ばれ、住民こぞって木炭の製造を行い、その高品質により、燃料としてだけではなく、すぐれた鉄器を製造するために使われ、江戸や横浜などに「上総木炭」として名声を博すようになりました。
 人々は氏を「土窯半兵衛」と親しみを込めて呼び、益々敬愛の心を深めていきました。
 安政元年12月11日、惜しまれながら氏は秋元村に没し、当寺境内に埋葬されました。
 急速にその需要を減らした木炭ですが、最近では燃料としてだけではなく、食べ物・水・空気などの浄化作用や、脱臭作用にも使われております。
 当地では「土窯半兵衛」の功績を残すため、当寺の隣接地に今ではめったに見ることが出来なくなった「土窯式炭焼き小屋」が再現され、炭焼き体験などで人気を集めております。
   
 
半兵氏の功績を称える
千葉県知事顕彰碑
 

 

白炭(はくたん)とは  
 陶器を作る窯のような、土窯と呼ばれる窯の中で、樫などの硬い木材を1000度以上の高温で蒸し焼きにし、白熱したまま窯口から引き出して、消し子と呼ばれる湿気を含んだ灰と土をかけて、一気に消化させて作る炭をいいます。
 この消し子のために、出来上がったときは白く見えるため「白炭」と呼ばれます。
 通常の黒炭とくらべ、火付きは悪いが火持ち火力とも良いのが特徴です。

 右写真の炭は、常磐半兵衛氏が当地において「土窯式木炭製造法」にてはじめて製造された「白炭」の一本です。
 長さ80㎝、直径20㎝ほどのもので、木材をそのままの形で非常に硬く焼き上げられています。
 これは、氏がはじめて焼き上げた記念にと、逗留先の奥畑村の原田家に寄贈したものです。
 同家では、これを代々家宝として保管しておりましたが「この炭は、半兵衛の墓所がある三経寺に展示して、皆さんに見ていただきたい。」との申し出により、当寺に保管してあるものです。  
   


復元された土窯式の炭焼き小屋   
 
炭焼き小屋内部
   

君津市秋元小学校炭焼き体験教室