三経寺の歴史と概要

三経寺の歴史と概要


    宗派  浄土宗 
名称 佛法山 補陀落院 三経寺
ぶっぽうさん  ふだらくいん  さんぎょうじ
開山 正嘉2年(西暦1258年) 
所在地  千葉県君津市市宿514番地 

 当寺は鎌倉時代の正嘉2年、浄土宗第3祖、然阿良忠上人(浄土宗大本山鎌倉光明寺御開山)が、浄土宗奥義相伝の重要書物である「決答授手印疑問鈔」を著述するきっかけとなったことで有名な在阿弥陀仏(通称在阿法師)が修行をして、そして入寂なされた地に創建されました。
 当時は、現在の場所から1㎞ほど山に登った古丹堀というところにありましたが、山砂採掘のため山が削られ、現在の場所に移築されました。
 名称も初期の頃は、法師が山で修行したところということで、「山行寺」と呼ばれていたそうです。そのため現在でも「三経寺」と書いて「さんぎょうじ」と読んでおります。
 境内には、在阿法師のお墓と、法師没後500年の後に、その遺跡を探し求めた、大本山光明寺第57世法主義譽観徹上人の碑が安置されております。
 また、江戸時代の中期に「土窯式木炭製造法」を近隣住民に伝授し、上総木炭隆盛の元となった「常磐半兵衛」氏(通称 土窯半兵衛)のお墓と、昭和28年の千葉県知事による顕彰碑が建てられております。
 現在、当寺は少数檀家のため、住職が常駐せずに、近隣の正源寺が兼務する寺となっておりますが、檀家諸氏により手厚く護持管理されており、在阿法師没後700年を経過した今でも、そのご遺徳を讃える「在阿講」が、法師の命日である毎月24日に檀家の枠を越えて連綿と開催されております。