施餓鬼会(おせがき)


施餓鬼会(おせがき)

 通称「おせがき」と呼ばれるこの法要は、餓鬼道地獄に堕ちた亡者に飲食を施すというものですが、その心は、自分の生命を大事にするためには、他の生命も大事にしなければならないという事を、今一度考え、日頃の自分の行いを振り返り反省するためのものです。

 この施餓鬼会の由来は
 お釈迦様のお弟子の一人である阿難尊者(あなんそんじゃ)がまだ若い頃、一人瞑想修行をしていた時に、恐ろしい姿をした餓鬼が現れ、阿難にむかって「お前の命はあと三日だ。そうして餓鬼道地獄に堕ちるぞ。」といい、なおも「命が助かりたいなら、無数の餓鬼に施しを行え、そうすればお前の命は助かる。」と言って姿を消しました。
 驚いた阿難は、お釈迦様に相談をしました。
 さっそくお釈迦様は、阿難に無数の餓鬼に供養する方法を伝授しました。
 そこで阿難は、お釈迦様から教わったその供養を実施し、無数の餓鬼に飲食を施すと、餓鬼は餓鬼道地獄から救われて極楽に生まれ変わり、阿難もその寿命を延ばすことが出来ました、とういうものです。
 今お寺で行われている施餓鬼会の方法も、この故事に基づいて行われます。
では、なぜ阿難さんが餓鬼道地獄に堕ちると言われたのでしょうか。

 阿難さんは、多聞第一と言われるくらい、お釈迦様の説法を誰よりも多く聞いて理解した秀才でした。
しかし、この阿難さんは、お釈迦様の説法を聞くことを第一として心がけたのはいいのですが、そのために周りが見えない、人間としての心を失っていたのです。
 お経の中には、こんなことが書かれています。

 ある日、阿難さんは寝坊をしてしまい、お釈迦様の説法の時間に間に合わなくなり、あわてて道を急いでいました。
 すると道端におばあさんがお腹をおさえて倒れていました。
 見るからに苦しそうで、すぐに手助けをしなくてはいけません。しかし、そんな事をしていたらお釈迦様の説法に間に合いません。
 阿難さんは目をつむり「見えない、見えない」とつぶやきながらその場を通り過ぎました。

 またある日、阿難さんがお釈迦様の説法会場に行く途中、車にひかれてケガをして倒れている青年に出会いました。
 すぐにでもお医者さんに連れて行かなければなりません。でも、そんな事をしたら、お釈迦様の説法時間に間に合わなくなります。
 この時も、阿難さんは目をつむり「見えない、見えない」とつぶやいて通り過ぎました。

阿難さんはこんな性格だったから餓鬼道地獄に堕ちるのだと書かれています。

こんな人、現代の私たちの周りにもたくさんいますね。

有名大学を優秀な成績で卒業したのに、社会的知識や人間としての常識が欠如して、自分さえ良ければと思っている人が。

まさに餓鬼の心なのです。

 こんな阿難さんも、お釈迦様にさとされて自分自身の心を改め、後にはお釈迦様の十大弟子の一人として「阿難尊者」と呼ばれるようになりました。


 餓鬼とは、生前の他人の事を考えない欲張りの報いのために、餓鬼道地獄というところに堕とされた亡者を言いますが、この世界では食べ物を口にしようとしても火に変わって食べられないなど、常に得ようとしても得られない飢えに苦しみが続く世界です。
 この施餓鬼会の故事の話を、単なる物語の事だと思ってはいけません。
 今の私たち、特にこの日本では、かってないほどの豊かさを享受しているように見えます。
 しかし、その豊かさを得るために、他人の事などおかまいなしに、自分さえよければいいという感謝する心を忘れて、あれもほしいこれもほしい、もっとほしいという欲望にどっぷりと浸かっているのではないでしょうか。

 餓鬼は別の世界にいるわけではなく、私たち一人一人の心に住み着いているものなのです。
 餓鬼の姿として表される、大きくふくれ上がったお腹はいくらあってもまだ足りないというあくことを知らない欲望を示し、やせ細った手足は感謝することを忘れた貧しい心を示し、長くするどく伸びた爪はなんでもかんでも自分の所にかき集めなくてはすまないという欲張りの心を示すものです。
 
 振り返れば、自分と餓鬼の姿は、瓜二つといえるでしょう。

 この施餓鬼会の時に、今一度自分を振り返り、自分の幸せを願うことは、他人の幸せを願うことが最も大事なことであると、再確認したいものです。