お十夜


十日十夜会(お十夜)


 通称「お十夜」といわれる法要は、正しくは「十日十夜法要」という、浄土宗だけに見られる法要です。
 今から五百五十年以前に始まったとされる日本に於ける「十日十夜法要」は、江戸時代になると「お十夜」とか「十夜講」「十夜念仏」などと言われて、秋の収穫が終わり、冬の準備に向かう一区切りの楽しい行事として一般庶民の間に定着しました。
「十夜」は俳句の世界では晩秋の季語となり、さまざまな句にその名前が見られるようになりました。
 江戸時代の有名な俳人の句に
○もろもろの愚者も月さす十夜かな 一茶

  (今日のお十夜の月の光のように、私達のような愚かな者にまで、阿弥陀様の御光は照らしてくれているのですね。)

○あな尊と 茶もだぶだぶと 十夜かな 蕪村
 (お十夜にいただいたお茶さえも、ナムアミダブ・ナムアミダブと言いながらお茶碗に入っていきます。なんと尊いことでしょう。)

○極楽は いつも月夜に 十夜かな 浪花
 (今日のお十夜のように、極楽はいつも月夜で楽しい所なんでしょうね。)

というものがあります。

「十日十夜法要」略して「お十夜」は、十月から十一月にかけて全国の浄土宗寺院で行われる念仏会です。
 もともとは、旧暦の十月五日から十月十五日の満月の日の朝まで、十日間の朝昼通して行われる法会行事でした。
 この法会行事は、浄土宗でもっとも大切なお経である三部経の中の一つ「無量寿経」の巻下に、
 「この世において十日十夜の間、善業を行うことは、仏の国で千年間善業をすることよりも勝れている」
と説かれていることによっています。
 この法会が初めて営まれたのは、今から五百五十年ほど昔の永享年間の頃、伊勢守平貞経の弟貞国が、無事家督を継ぐことが出来たお礼のために、京都の真如堂で行ったものが始めといわれております。
 その後五十年あまりたった明応四年、浄土宗大本山 鎌倉 光明寺八世住職 観誉祐崇上人が、後土御門天皇に阿弥陀経の講義をされたとき、京都真如堂に伝わる十日十夜法要も真如堂の僧侶とともにお勤めなされました。
 この講義と法要にいたく感激なされた天皇は、「なにか寄進をしたいが、どんなものがご希望か」と祐崇上人にお尋ねになられました。
 この時の祐崇上人の答えは、「なんの望みをありませんが、ただ一つお願いがございます。それは、この十日十夜の法要を天下泰平・万民安寧のため、全国の浄土宗寺院で末永くつとめられるようにとの詔をお出しください。」とことでした。
 天皇はこれを喜ばれて勅許されたのです。
 これが今に伝わる十日十夜法要の始まりであります。
 お十夜は、お念仏の尊さを知り、すべての命に感謝の気持ちを込めてお念仏を称える大切な法会行事です。
 今日ではその期間も十日間から三日、あるいは一日と短縮され、時期もさまざまですが、その心に変わることはありません。
 この大切な念仏会に参加し、仏の国での千年の善行にも勝る善行を、ぜひ積んでいただきたいものです。