行事解説 おぼん
盂蘭盆会(おぼん)
「お盆の由来」
今から二千五百年も昔の話ですが、お釈迦様の十大弟子の一人、目連尊者(もくれんそんじゃ)とそのお母さんの故事によるとされています。
目連尊者は神通第一と言われるほど、頭脳明晰な方でした。そんな目連尊者がある日、亡くなったお母さんのことを神通力で見てみると、お母さんはなんと、餓鬼道地獄に堕ちて苦しんでいたのでした。
餓鬼道地獄とは、生前に嫉妬深かかったり、欲張りをした人間の堕ちる世界です。
そこでは、物を食べようと口元に寄せた瞬間に、すべてが火となって燃え尽きてしまうといいます。ですから、何も食べられずにいつもお腹がへって苦しんでいるというのです。
生前はとても優しく、いつも自分を大切にしていてくれたお母さんの、痩せこけて見るも哀れな姿を見た目連尊者は、深い悲しみの中、お釈迦様のもとへ走り、なんとか母を救いたい思いを告げました。
目連尊者の必死の懇願に、お釈迦様はこう答えられました。
「目連よ、この世であなたの母は、可愛い息子であるあなただけしか見ていなかったのだ。あなたにだけは不自由な思いをさせまいとして、あなた以外の人たちに多くの迷惑をかけてきた。その罪を今、お母さんは償っているのだ。」と。
目連尊者はハッとしました。思い当たることがあったからです。
この目連尊者とお母さんのお話、現代でもピッタリとあてはまりますね。
試験勉強だけは出来ても、周りへの迷惑などおかまいなしの「親離れしない子」
自分の子供さへ良ければと、一般常識の欠けた「子離れしない親」
その末路は、餓鬼道地獄です。
この説話をもとにしたのが「お盆」です。
日々の自分を振り返り、過去せる生命と、今ある生命に感謝の誠を尽くすことがこの行事の目的なのです。
お盆を迎えるにあたり、自分にとって何が大切なのかを考えてみたいものです。
「お盆の日程」
旧暦一月十五日と七月十五日の満月の日は、今は亡きご先祖様がこの世にお帰りになる日とされていました。
ですから、お盆の正しい日は、旧暦七月十五日ということになります。
しかし明治になって、現在の世界基準である、いわゆる新暦に変わったことで、お正月はさしたる問題にはならなかったのですが、お盆は大きな問題を抱えてしまったのです。
都会地の商工業地帯ではさしたる問題はなかったのですが、日本の大半を占めていた農業地域では大きな問題が出てきたのです。
今のように農業技術が発達していず、稲の生育などが遅かった時代、この新暦の七月十五日では梅雨の真っ最中ということもあり、農家にとっては、お盆の行事をやれる状態ではなかったのです。
そこで農村地域では、以前のように旧暦でお盆を行うこととしたのです。
しかし、旧暦は普通のカレンダーには書いてありませんし、日にちを特定することが難しくなりました。
そこで一月遅れという考えが出てきたのです。
一月遅れならば、日にちの特定が簡単ですし、学校へ行っている子供たちも夏休みになりますし。
その後、政府の休日奨励策から「お盆休み」という夏休みが各企業で行われるようになり、一月遅れのお盆が定着し、現在では通常お盆というと、一月遅れの八月十五日を指すことが主流となりました。
お盆の行事のなかで、有名なものといえば、大文字焼とよばれる「京都五山の送り火」があります。これも現在では、八月十六日の午後八時から開催されます。
東京では七月十五日が主流ですが、まだまだ旧暦でお盆を行う地方もかなりあります。
生きている人たちの都合で、変わったのですね。
亡き人たちは、どう思っているのでしょうか。
「お正月」も一月間、何かと行事がありますが、「お盆月」も一月間いろいろな行事があります。
一日を「盆供」などといって、地獄の釜の蓋が開く日といわれます。
七日を「墓掃除」の日、十二日が「盆棚飾り」の日、十三日が「迎え盆」、十五日(あるいは十六日)が「送り盆」といいます。
二十四日を「地蔵盆」といい、三十一日を「地獄の釜の蓋の閉まる日」とされています。
精霊棚(しょうりょうだな) 仏教行事としての「お盆」を、ただ単に、先祖の霊を祀る民俗行事とだけでとらえたのでは、お盆の本当の心は見えてきません。 お盆の先祖供養のなかで普段とは全く違うものが、仏壇以外の場所に作られる「盆棚(ぼんだな)」とか「精霊棚(しょうりょうだな)」と呼ばれるしつらえです。 精霊棚とは、お盆にあの世から一年ぶりに我が家にお戻りになられたご精霊を、新調した部屋に招き入れ、共にすごした時そのままに供養するための場所です。 精霊棚のしつらえは、地方や地域、また家の作り方などで様々ですが、イラストのようなものが、伝統的なものです。 しかし現在では、住宅事情などから、仏壇の前や中に作る簡単なものが多くなりました。 でも大きかろうと小さかろうと、昔も今も、あの懐かしい方々をお迎えする心は変わりません。 だって、あなたが過去せる命。つまり御精霊となって、しばらくぶりに我が家に帰ってきたら、部屋は汚れ放題で、自分の居場所も見つからない。 せっかく遠いところから急いで帰ってきたのに、水の一杯も用意してないし、家族はみんな遊びに出かけてて「お帰りなさい」の一声もない。 なんとか仏壇にたどり着いたものの、お花は枯れているし、水は腐っている。食べるものはなんにもない。 急いで帰ってきたあなたは、どんな思いがするでしょうか。 がっかりするより、普通は怒りますよね。 二度とこんな家に帰るものか、って思いますよね。 でもね、子供は大人の背を見て成長するものです。こんなことになったのも、あなたの生前の行いからなのです。 そうならないためにも、ご家族みんながお互いの立場をみとめ、ご先祖様のおおいなるおかげを感じて、明るく正しく和やかな家庭を築く。その一助となるのが、精霊棚をしつらえる心なのです。 この精霊棚の内にいろいろなものを飾っていくわけですが、これは、あなたがかって小さい頃にやった「ママゴト」であり、今でも趣味としてやっているかもしれない「ミニチュアハウス」そのものなのです。 この部屋にお招きするのは、今は亡き人々なのです。 |
この精霊棚に飾らなければいけないと決まっているものは、主客である今は亡き人のお位牌と、三具足という、お花とお香と灯りだけです。 あとはみなさんの自由な発想で飾っていきます。 昔から行われているものは、まずは、お部屋の畳代わりの涼しげなマコモのゴザです。 照明器具の代わりには、赤く色づいたホウズキを下げます。 お食事やお水の器には、ちょっと洒落た高級料亭のように、涼しげな蓮の葉などを使います。 亡き人に楽に早く来ていただくお迎えの車代わりに、足の速い馬と、荷物をいっぱい積める牛を、ナスやキュウリで作ります。 これらのものが、昔から伝えられてきたお飾りですが、その他に、亡き人がお帰りになった時にきっと喜んでいただけると思うものを、ミニチュアにして色々と飾っていくわけです。 このお飾り品以外に、亡き人に喜んでいただくもっとも大事なものは、家族・親戚・友人たちの仲の良い明るい笑顔です。 精霊棚の前で、亡き人の好物を一緒になごやかに食べるのも良いでしょうし、亡き人の好きだった音楽を聞いたり歌ったりするのも良いかもしれません。 お盆の三日間、亡き人の御霊に生前と同じように、いやそれ以上に楽しく過ごしてもらうこと、これがお盆の行事の最大の決まり事なのです。 こんなお盆を迎えたあなたのご家庭には、どんなことが起こるでしょうか。 「子供は大人の背中を見て育つ」いわれますが、親の背中を見ずに育った子供はどうなるでしょうか。 悪いことも良いことも分からなくなります。 子供は成長の一段階である七歳くらいまでに、たくさんのことをその頭脳に、その体に吸収していくといわれます。 大人が、今自分が生きて生活できている事への感謝の誠を、あの「ママゴト」をしていた子供のころの純粋無垢な気持ちになって、今は亡き人たちの命と語り合うとき、その背中には、命の大切さを口で称える言葉以上の重みがあるのです。 見えない姿を見、聞こえない声を聞く。親から子へ、子から孫へと伝える命の大切さの教えなのです。 お盆の行事は、命というものを改めて考えてみる、情操教育の場でもあったのです。 もし精霊棚なんか作ったことのないあなたも、今年は一つ素敵な「盆棚」を作ってみましょう。 えっ、家には先祖がいないから仏壇も無い、ですって。 お父さんお母さんがいなくて、よくこの世に生まれ出ましたね。必ずご先祖はいらっしゃるのですよ。 例えお位牌は無くても、仏壇の阿弥陀様がご先祖様の代わりとなってくれるのです。 きっと、今までとは違う、もっと素敵な自分にめぐり合えるかも。 |